THLTA01  企画セッション②  8月12日 会議室A 9:00 - 10:00
日本の加速器歴史物語
A Brief History of Accelerators in Japan
 
○井上 信(京都大学)
○Makoto Inoue (Kyoto University)
 
レントゲンのX線発見の翌年、1986年に村岡範為馳と島津源蔵が製作した装置が日本の加速器物語の始まりともいえるが、コッククロフトとウォルトンの世界初の加速器による人工核変換実験の翌々年の1934年にその追試に成功したのは、当時の台北帝大の荒勝文策らである。その後、理研の仁科芳雄、阪大の菊池正士、台湾から京大に戻った荒勝文策がサイクロトロンを建設するが、敗戦によってこれらのサイクロトロンが全て占領軍によって破壊撤去され、戦前並に復興するまでに10数年を要した。遅れを取り戻すためにはさらに約10年を要し、KEKとRCNPが発足したのは1971年であった。さらにやっと世界のトップクラスに並んだのはKEKのトリスタンが完成した1986年のことであった。理研のリングサイクロトロンRRCの完成も1986年である。同時期に核研で立案されたニューマトロン計画は実現しなかったが、その技術開発は放医研の重イオンシンクロトロンHIMACに活かされた。さらに原子力予算によるSPring-8や理研RIBFが建設される。中性子利用を含むJ-PARCは科学技術庁と文部省の統合の象徴として建設された。その間、文部省予算で建設できた主なものはRCNPリングサイクロトロンとKEKBであった。これらの主流を眺めながら、背景を含めた日本の加速器の歴史と今後考慮すべきことを概観する。