日本加速器学会 第19回学会賞

2023年5月9日に開催した学会賞選考委員会における選考をもとに、 評議員会で審議した結果、第19回(2022年度)加速器学会賞受賞者は下記の通り決定した。
(敬称略)


奨励賞 The 19th PASJ Award for Research Encouragement

氏名:中沢 雄河
所属:理化学研究所
業績:J-PARC ミュオンg−2/EDM精密測定実験に向けたミュオン線形加速器の開発
<推薦理由>
 ミュオン異常磁気能率の精密測定は素粒子標準模型の精査および、標準模型を超える新物理探索に 感度があることが知られている。これまで米国のブルックヘブン研究所やフェルミ研究所などで実 験が行われてきたものの、最終的な結論には至っていない。現在J-PARCで進められているミュオン g−2/EDM精密測定実験は、先行研究とは本質的に異なる手法に基づき、新たな切り口で標準模型の 綻びを検証しようとする野心的な試みである。この実験では、指向性の高い低エミッタンスミュオン ビームを生成した後、必要なエネルギーまで素早く加速することが求められている。中沢雄河氏は 実験成功の鍵となる高周波線形加速器の開発に携わり、若手メンバーのひとりとしてプロジェクトに 大きく貢献してきた。
 中沢氏はRFQリニアックによる世界初のミュオン加速実証実験に参画すると共に、加速ビームの バンチ幅測定において主要な役割を果たした。特にビーム診断系の調整に手腕を発揮し、強度の限ら れた加速ミュオンの同定を短期間で成功させた。その後、RFQに接続されるIH-DTLのR&Dに着手したが、 交番位相集束(Alternating Phase Focusing)の原理を採用することで低コスト化を実現している。 中沢氏は試作機の設計・製作、低出力・高出力試験を主導し、加速電場分布の測定や組み立て精度の 評価も併せて行っている。さらに、多粒子シミュレーションを実施し、100%に近いミュオンの輸送 効率が達成できること、エミッタンスの劣化もg−2精密測定に必要な許容範囲内に収まっていることを示した。
 このように中沢氏は、素粒子標準模型の検証という重要な基礎物理学上のテーマに学部4年生の段階 から意欲的に取り組み、加速器の開発現場で成果を上げてきた。RFQやAPF型のIH-DTLといった既存の 加速器構造を利用しながらも、随所に工夫を凝らした主体的な研究姿勢は高く評価できる。また、 国際会議や学会、研究会等へ積極的に参加して数々の発表賞を受けるなど、今後の活躍が大いに期待 できる若手加速器研究者のひとりと言える。
 以上の理由から、中沢氏を第19回日本加速器学会賞奨励賞に推薦する。


技術貢献賞 The 19th PASJ Award for Technological Contribution

氏名:二ツ川 健太
所属:高エネルギー加速器研究機構
業績:大電流パルスビーム陽子線形加速器のビーム負荷補償システムの研究開発
<推薦理由>
 線形加速器における加速ビームの品質は、空洞の加速電界の精度に大きく依存している。J-PARCリニ アックのようにパルス運転で大電流ビームを加速する場合、ビームの負荷が大きいため、低電力高周波 制御システムによる負荷補償がパルス内の加速電界の安定度に大きく寄与する。既存のビーム負荷補償 システムには、1つのRFステーションあたり、振幅、位相、パルスビームタイミングの3次元のパラメー ターがあり、ビームを使用した調整には膨大な時間を必要とした。
 二ツ川氏および氏の所属グループは、反復学習制御の一種である適応型ビーム負荷補償システムを開 発し、J-PARCリニアックに導入することで、大電流ビームの負荷補償精度の向上とビーム試験における 電界精度の悪化の抑制と負荷補償調整に係る時間の短縮を実現した。
最初に導入した適応型ビーム負荷補償システムは、時間領域でのパルス毎のフィードバックベースによる 手法であり、10回程度の反復計算により、加速電界の要求性能を満たす精度に到達することができた。 しかし、この手法では反復計算の他にビームを用いたタイミング調整が必要であり、反復計算の過程で パラメーター設定値に高周波成分による誤差が蓄積するため反復計算の回数に制限があった。そこで、 二ツ川氏らのグループは時間領域での算出手法に代わり、DAC前の回転行列を時間的に変化させて擬似 的な線形システムを作り、実験より算出したその応答関数を利用して周波数領域での負荷補償量を計算 する新たな手法を開発した。この手法では、数回の反復計算で、より高精度で最適なビーム負荷のパラ メーターが得られ、かつビームを用いた調整は不要となった。その上、高周波成分をカットすることで 反復計算の回数の制限もなくなり、画期的な機能の改善となっている。
 また、二ツ川氏らのグループは、ビーム形状の情報をもつ信号を各RFステーションに分配するシステム を整備し、上記の適応型ビーム負荷補償システムを応用することで、ビーム試験などで使用するパルス 内のビーム形状を変更した場合にもビーム負荷の加算分に自動で追従する機能を備えたビーム負荷補償 システムを開発した。その結果、1ステーションあたり4次元のパラメーター(振幅、位相、パルスビーム タイミング、ビーム形状タイミング)をもつにも関わらず、現実的な試験時間内でパラメーター調整を 行うことを可能にした。
これらの革新的なビーム負荷補償システムの導入は、大電流ビームの負荷補償の精度向上に繋がっている。 その手法は、J-PARCリニアックだけでなく、ビーム負荷が大きなパルスビーム線形加速に容易に応用が可能 であり、将来の加速器の制御システムの技術的核心の一つであると考えられる。
 以上の理由から、二ツ川氏を第19回日本加速器学会賞技術貢献賞に推薦する。


特別功労賞 The 19th PASJ Award for Distinguished Services

氏名:吉岡 正和
所属:大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構 名誉教授
   岩手大学・岩手県立大学 客員教授
業績:加速器施設における基礎を成す土木・建築・設備設計に対する貢献
<推薦理由>
 吉岡正和氏は、1976年から東大原子核研究所で助手として加速器研究を始めた後、1989年から高エ ネルギー加速器研究機構(KEK)に移られ、TRISTAN加速器、KEKB加速器、J-PARC加速器等、数々の加 速器の建設・性能向上に貢献した。
 加速管やクライストロンの開発や製造、世界初となる偏極度が50%を超える偏極電子源の開発など、 加速器本体への吉岡氏の貢献もさることながら、吉岡氏は通常はあまり顧みられることがない土木技術 や機械設備、電力設備が加速器の性能に大きく影響することに気が付き、土木技術と加速器性能に関す る研究を進め、多くの加速器の性能達成に多大の貢献をした。吉岡氏はJ-PARCにおいて、地下水の豊富 な軟弱地盤海岸サイトにおける高精度の加速器トンネルの実現という困難な課題に取り組み、その達成 に大きく貢献した。その後、2011年3月の東日本大震災時のJ-PARC-MR加速器トンネル内における安全確保 に関する教訓をもとに、吉岡氏は加速器施設における防災と安全という観点でも研究を進めた。その成果 は現在MR加速器施設に活かされている。
 2004年にICFAによるITRP (International Technology Recommendation Panel)によって、Linear Collider(LC) が超伝導加速器技術に一本化されてInternational Linear Collider(ILC)グループが発足した後は、 吉岡氏はILC実現のために日本では山岳サイトに地下トンネルを掘削する必要性を見越し、日本の土木 技術の粋による加速器トンネル建設の研究を進め、ILC日本サイト地下施設設計の基礎を作った。その後、 Sustainability という問題が社会的に提起されると、巨大加速器におけるその対応策を模索・検討し、 排熱の輸送による農業や生活への活用、加速器の電源への自然エネルギーの利用、などの取り組みを進 めている。このような、加速器とそれを取り巻く環境を一体として考える視点はユニークであり、吉岡氏 の業績の重要性は、加速器の高性能化、そして持続可能性への要求が高まるにつれ、今後一層増すであろう。
 以上の理由から、吉岡氏を第19回日本加速器学会賞特別功労賞に推薦する。